国際髪型vs大椙髪

8月。早朝。上下白のセットアップの老人。煙草。爆音を鳴らす筋トレバカ。スピリチュアルにはまった夫婦。エナジードリンクを飲む廃人。見る必要のない光景。を見たのは私が人生から転げ落ちたからだ。The Smithtsが流れるスーパーでアルコールを買う。

 

40歳で死ぬはずだった大椙髪(おおすぎはつ)は多すぎる髪に悩んでいた。友人の多くは前髪が後退したりてっぺんが薄くなったりなかにはタコのようなつるっぱげなやつもいる。前歯が不自然に欠けていたり加齢臭がひどかったり。40代というのはそういう年齢だ。

 

近所に歯医者がある。大椙髪は20年近く歯医者に行っていない。酒やジュースを飲んで歯磨きをせずに寝るのが習慣だったので自身でも虫歯だらけだという自覚があった。もし歯医者に行けば神経を抜かれ親知らずの抜歯という未来が見えていたので歯医者の存在を脳内から消していた。が、40歳になり持病もなく暇なので暇つぶしに歯医者に行くことにした。近所の歯医者は「虫歯歯科」という名前で大椙髪が小学生のときからある。大椙髪は歯医者に、銀歯がおそらく虫歯なので外して治療してくれ、と言った。歯医者は、オッケーじゃあ口を開けろ、と言った。歯医者は丸眼鏡でそれだけで信用できる。歯医者は、お前には虫歯はないぞ、と言った。大椙髪は耳を疑う。は!虫歯がない?馬鹿にするな。

 

結局、歯医者ではクリーニングをされてもう来なくていいと言われ大椙髪の積年の歯に対する不信感は30分で消えた。毎日毎日虫歯がふえる恐怖のなかで歯磨きをせずに寝てたまに苦肉の策でキシリトールガムを噛みながら寝たりしていた。だが、朝になると終わったという感覚があった。虫歯がふえた、と。おそらくこれを強迫観念というのだろう。結果、大椙髪には虫歯がなかった。

 

梅雨。の時期、大椙髪の多すぎる髪は3倍になる。ここ数年の高温多湿の日本の夏と大椙髪の髪の相性はよくない。たとえば、薄毛の原因の説明で人類が進化の過程で頭を髪で守る必要がなくなったからだということを聞いたことがあるが本当だろうか。じゃあ、大椙髪だけは進化せずいまだに頭を髪で守ろうとしている馬鹿だということだろうか?たしかに帽子があれば頭を守ることができる。

 

20年以上前、大椙髪は若者と呼ばれる時代のなかにいてアメリカで生活したことがある。不思議だが、若者と呼ばれる時代のなかにいる人間はロックスターになれるとかデュシャンのような大芸術家になれるとか思うことができる。大椙髪もそうだった。大椙髪は画家になれるはずだった。

 

国際髪型。と書かれた帽子を見たのは大椙髪がアメリカで画家になるための修行をしていたときだった。スケートボードに乗った白人男性がかぶっていた。

 

40歳の大椙髪は暇だった。小学校の夏休みのあの感じのなかで生きてる。ずっとあの感じ。友人はタクシー運転手になったり精神を病んで心療内科に通ったり糖尿病になったりちゃんとした40代を生きてる。大椙髪だけ暇だ。虫歯とたたかえるはずだった。

 

たたかいたい。と大椙髪は思った。鮮明に覚えているが、24,5歳の頃、見えない魔物に殺されそうになった。比喩ではなく死んでもおかしくなかった。その頃住んでたアパート5階から何度も飛び降りそうになった。飛び降りないために本屋で立ち読みしたり美術館で絵を見たりした。インスタに投稿するための優雅な読書や優雅な美術鑑賞ではない。死なないためだった。今の大椙髪は死なないための切迫した読書や美術鑑賞ができない。youtubeで見る退屈で腐臭のする彼らと同じ何かになった。いちばんなりたくない何かになった。

 

抵抗。はした。が。負けた。加齢臭というのは腐臭のことだろう。黒いスーツを着た人間ではない何かが毎日電車で運ばれる。耐えがたい腐臭が充満して。